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1995年宝塚記念レコードV ダンツシアトルが死亡

1995年の宝塚記念(GI、芝2200m)を制したダンツシアトルが9月24日に老衰のため死亡していたことが明らかとなった。30日に日本軽種馬協会が発表したもの。30歳だった。

同馬はアメリカで生産、輸入され栗東の山内厩舎所属として1992年秋にデビュー。デビューから2連勝を収めたもののその後骨折による長期休養があり、およそ10カ月ぶりの復帰後は自己条件で走り続けオープンまで昇級した。しかしその後屈腱炎を発症し、今度は13カ月に渡る休養を余儀なくされる。再度の復帰後は準オープンを一発でクリア(当時の制度で降級していた)、オープン特別で3着、1着と力があるところをアピールし、続いて臨んだ京阪杯(当時は芝2000m)で重賞初勝利を果たす。京阪杯勝ち後にGI・宝塚記念に挑むと、タイキブリザードをクビ差退けレコード勝ち(この年は京都芝2200mで実施)で重賞連勝、GI制覇を達成した。

その後屈腱炎が再発し宝塚記念を最後に引退。種牡馬としては主に九州種馬場で供用され、コウセイロマン(ひまわり賞勝ち)らを送り出す。2017年に種牡馬を引退した後は九州種馬場で余生を過ごしていた。

▽【ダンツシアトル】
父Seattle Slew
母Call Me Goddess
母父Prince John
通算14戦8勝

《重賞勝鞍》
1995年 宝塚記念(GI)
1995年 京阪杯(GIII)

(Text:Nishimura)

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