おしらせ
95年の日本ダービー馬・タヤスツヨシが安楽死
1995年の日本ダービーを勝利したタヤスツヨシが29日、北海道日高町のブリーダーズスタリオンステーションにおいて馬道でバランスを崩し転倒。右大腿骨の複雑骨折と診断され、安楽死処分となったことがわかった。 94年8月にデビュー。3戦目の未勝利戦で勝ちあがり、同年12月のラジオたんぱ杯3歳S(現ラジオNIKKEI杯2歳S)で初重賞勝利。明けて95年、共同通信杯で2着、不良馬場の若葉Sは5着、皐月賞は2着と惜しい競馬が続いていたが日本ダービーで同じくサンデーサイレンス産駒のジェニュインを差し切り、同レースを制覇した。 フジキセキやジェニュインらサンデーサイレンス初年度産駒のうちの一頭。皐月賞・ダービーと続けてワン・ツーをSS産駒が占めたことにより、父の種牡馬としての存在感を満天下に知らしめることとなった。 菊花賞後に故障のため引退。その後は種牡馬として、ナスダックパワー(01年ユニコーンS)や、ディーエスサンダー(03年盛岡・マーキュリーC)、近年ではカネトシツヨシオー(08年福島テレビOP)などの活躍馬を出している。またシャトル種牡馬としてオーストラリアでも供用され、現地のGI馬も輩出した。 通算成績は12戦4勝、うち重賞は2勝。