おしらせ
94年ジャパンC2着のパラダイスクリークが死亡
1994年のジャパンCで2着に好走したパラダイスクリーク(牡22)が4日、腰骨を強打し死亡した。 パラダイスクリークは父Irish River、母North Of Eden(その父Northfields)という血統。1989年2月にアメリカで誕生すると、1991年6月にはデビュー戦を迎え初陣を勝利で飾る。その後も安定した成績を残し、翌年1992年のハリウッドダービー(GI)では自身初となるGI制覇を果たした。早い時期から活躍していたが、5歳になって本格化。1994年1月のアップルトンHC(GIII)から6月に行われたマンハッタンHC(GI)まで6連勝でGI2勝目をマーク。次走こそ敗れはしたものの、その後のアーリントンミリオン(GI)、ワシントンDC国際(GI)と大レースを連勝した。1番人気で臨んだBCターフ(GI)では、勝ち馬ティッカネンの3着に敗れ、引退レースとなったジャパンCでは6番人気のマーベラスクラウンとの激しい競り合いの末、ハナ差の2着に敗れた。この年は北米で10戦8勝(うち重賞7勝)と大活躍し、1994年エクリプス賞最優秀芝牡馬に選出されている。 種牡馬入りした後は、テイエムプリキュア(2005年阪神JF勝ち)、カネツフルーヴ(2002年帝王賞勝ち)、ニシノハナグルマ(2002年フローラS勝ち)、ニホンピロスワン(2000年ローズS勝ち)など多くの活躍馬を輩出。今年から前川義則牧場に拠点を移したばかりの訃報だった。 ※関連リンク ★がんばろう日本!競馬で被災地に力を!?東北地方太平洋沖地震応援メッセージ募金?にご協力お願いします