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競馬サロン

人の言葉を理解した馬(スペシャルウィーク)

2018/08/19 11:53



■「スペシャルウィークが名馬である理由」

愛情をかけ過ぎて育てることを“過保護”という。
ほとんどの場合、それはネガティブな意見として扱われ、自主性も育たなければ、心の形成に影響するとまで言われる。

競走馬もそうだ。
馬は自然でいることが一番、と多くの人間が言った。
私が厩務員として働き始めた当時は、特にそんな傾向が強かった。
過保護は馬を駄目にする。
多くの厩務員が自身の担当馬を殴り、蹴る。
そんなシーンを、当たり前のように私は見てきた。

しかし、本当にそうだろうか?
馬は、人間よりもはるかに繊細な心を持ち、敏感な反応を見せる動物。
多くの愛情を注ぎ、時にはやり過ぎと思うほどに手を加えてもいいではないか。
馬は、そうして育てていくものなのだ。

スペシャルウィーク。
彼がそれを教えてくれた。

私が管理した多くの馬の中でも、最高傑作と認めるサラブレッド。
彼は華やかな競走成績以上のものを、私に残してくれた。

すでに語り尽くされた印象もある、彼の真の姿。
それを、今回は紹介させてもらいたい。


【シラオキの血を求めて】

マルゼンスキー肌の馬が、私の厩舎には数多くいた。
ニジンスキーの血を引く彼の能力に、私が惹かれていたのが大きな理由。
スペシャルウィークの母キャンペンガールを見初めたのも、マルゼンスキー肌の繁殖牝馬だったからだが、彼女にはそれ以外の可能性を早くから感じていた。

スペシャルウィークから数えて4代前──。
そこに日本競馬史に残る繁殖牝馬シラオキがいる。

ニジンスキーの血を持つだけでも、価値の高いマルゼンスキー肌の繁殖牝馬。
彼女はそれだけでなく、その体内にシラオキの血まで持っていた。
その血統構成が、私を興奮させた。

シラオキの血統は牝馬が走らない。それが定説。
それでも、私はこの血統への興味を捨て切れなかった。
スペシャルウィークの2歳上にあたる、ヘクタープロスペクター産駒の牝馬。
オースミキャンデイと名づけられた彼女を、私は手に入れる。

その競走成績は2勝。
悪くない成績だが、彼女の功績は競走生活ではない。
自身の弟であるスペシャルウィークへと導く役割。
この重要な仕事を、彼女は果たしてくれたのだ。

セレクトセールのような大きなセリで、競走馬を買う現在の状況と違い、当時は牧場で当歳買いをすることが、当たり前の時代だった。

“ゆかりの血統”という言葉がある。
血統=繁殖牝馬を扱う牧場と馬主、調教師の関係性が現在よりも深いものだったことから生まれたフレーズ。
この血統の上を買っている私には、生まれたばかりの子馬を見る“優先権”のようなものがあったのだ。

父は思い入れの強いサンデーサイレンス。
その配合を耳にした時から、自分の中に湧き上がってきた興奮を、私は抑えきれない。
生まれてきたのは牡馬。運命の動き出す音がした。


【スペシャルウィークとの出会い】

1995年5月2日。
彼が生まれたのはゴールデンウィークの真っ只中。
簡単に移動できる状況ではない。
ダンスパートナーで自身初のGI制覇に向け、邁進していた時期でもあった。
それでも、私は牧場にこう言う。

「連休明けには、必ず馬を見に行くから」

誰よりも先に見たい。
その強い思いを持って、私は彼の生まれた日高太平洋牧場に向かった。

その第一印象は「細身でスラッとした、サンデーサイレンス産駒らしい馬」。

アメリカで活躍したサンデーサイレンスの主戦場はダート。
懐疑的な目は少なからずあったと思う。
しかし、彼はアメリカの馬に多いマッチョなタイプの馬ではなかった。
それがサンデーサイレンスの活躍を予感した理由。

私の目の前にいる仔馬もまた、サンデーサイレンスによく似た細身の馬体をしていた。
足元の問題もない。
スペシャルウィークの購入を、私は即断した。



■「スペシャルウィークは父に似ていたのか?」

【秘密は幼少期】

日本競馬の血統地図を塗り替えたサンデーサイレンス。
彼は高い能力を産駒に伝える反面、自身の中に眠る激しい気性も同時に伝えていた。

私に初のGIタイトルをプレゼントしてくれたダンスパートナー。
彼女もサンデーサイレンスの激しい気性を受け継いだ馬だった。

ステイゴールドは彼自身が気性の激しいだけでなく、産駒も難しい馬が多いことで知られている。
同産駒というだけで、その激しい気性に身構えてしまう関係者も少なくない。

現在、「サンデーサイレンスの激しい気性」は誰もが知るサークルの常識となっている。
だが、スペシャルウィークには、その常識が通じなかった。
サンデーサイレンス産駒に共通するはずの気性の激しさが、彼にはまるでなかったのだ。

サンデーサイレンスに似ていなかったわけではない。
いや、スペシャルウィークはサンデーサイレンスの特徴が、色濃く出ていた馬だった。
ゆえに私は彼を欲したのだ。

ならば、なぜ?

生まれたばかりの子馬の横には、母馬の姿がある。
これが普通だ。
しかし、私が初めて見たスペシャルウィークの横には、すでに乳母を務める重種馬がいた。

彼を産んだ5日後──。
母のキャンペンガールは他界してしまう。
本来なら寄り添うべき母の存在を、生まれて数日のうちにスペシャルウィークは失っていたのだ。

乳母だった重種馬はサラブレッドに比べ、気性がおっとりとしている。
彼女の影響を受けていたのか、スペシャルウィークも気性がおっとりとした馬だった。

彼には母馬がいない。
そのため、他のどの馬よりも人間の手が、愛情がかけられていた。

それが理由だったのだろうか?

彼はどの馬よりも人に頼り、こちらの言うことをよく聞く、聞こうとする。
人の言葉がわかるのではないか。
そう感じたことも、一度や二度ではない。

仔馬だった彼が成長し、競走馬として成熟していく過程でも、彼の性格は変わらなかった。
むしろ、成長するに連れ、その特長は顕著になっていたかもしれない。


【武豊騎手の言葉】

1997年秋。私はスペシャルウィークを栗東トレセンに入厩させた。
同じ5月の遅生まれでも、体質の弱かったダンスパートナーとは対極。
育成の時期から問題らしい問題のなかった彼は、調教を進めてもヘコたれるようなところがない。

それならば──。

新馬戦に出走する2週間前。
私はスペシャルウィークを、ゲート試験などで使うダートのEコースへと連れて行く。
1マイルという距離をしっかりと乗り、どれほどの時計を出すのか?
彼の能力を測ってみたくなったのだ。

普通の馬ならば、110秒くらいのもの。
108秒前後で走ることができれば、新馬戦で勝ち負けを期待できるレベル。
だが、スペシャルウィークは104秒という時計で走ってきた。

「先生、この馬はすごいわ。ずっと乗せてください」

スペシャルウィークでの鞍上には武豊騎手。
彼しか考えていなかった。
まだエージェント制のなかった時代。
彼への騎乗依頼も私がした。

すべてはクラシックを戦い抜くため。
最高の舞台で最高の結果を手にするには、彼の力を必要とする時が必ず来る。
その武豊騎手が、スペシャルウィークの能力を絶賛してくれたのだ。

私の期待が確信へと変わった瞬間だった。

スペシャルウィークのデビュー戦として、私が選んだのは、素質馬が揃うことで知られる阪神芝1600m。
そのレースを、彼は簡単に勝ち上がる。
抜けてくる瞬間の脚が、他の馬とはまるで違った。
これがクラシックを狙う馬の走り。
わずか1戦でダービーの舞台が私にはハッキリと見えた。

だが、好事魔多し。
連戦連勝でクラシックへと向かうはずだったスペシャルウィークのキャリアは、2戦目で早くも予定が狂ってしまう。

地方馬のアサヒクリークにハナ差負け。
白梅賞の敗戦が私に与えたショックは、とてつもなく大きいものだった。



■「転機となった1戦」

【予期せぬ敗戦を喫して】

大レースを目指すような馬を管理した時、我々は針の穴に糸を通すような思いで、競走馬を仕上げていく。
単に状態管理の話をしているのではない。
目標とするレースまでの日程をまず考え、そのレースに出走するための持ち賞金なども頭に入れながら、細かな調整をする。

馬の状態は常に一定ではない。
ゆえにGIというレースは特別なのだ。

だが、仮に目の前のレースを逃すことがあっても、能力喪失のような致命的な故障さえなければ、いずれはチャンスが巡ってくる可能性がある。
目先の勝利にこだわらず、時には成長をうながす判断をすることも、調教師の才能の1つ。
そんな馬が大輪を咲かせた時は、喜びもひとしおだ。

しかし、3歳クラシックだけは違う。
どの馬にも一生に一度しかチャンスを与えられず、どれほどの能力があっても、舞台に立つことができなければ、勝つチャンスは生まれない。

ダービーを狙える馬を管理すれば、どんな調教師でも大目標までの日程を逆算するもの。
どのレースで賞金を加算し、どこで体を緩め、どの時期からピークへと持っていくのか──。

だが、その青写真通りに進むことはほとんどない。
スペシャルウィークでさえも、例外ではなかったのだ。


【きさらぎ賞への出走】

正直、単なる500万下特別の白梅賞をスペシャルウィークが取りこぼすなど、考えもしなかった。
しかも、地方馬のアサヒクリークにゴール前で差される格好。
先のことを考え、余裕を残した状態で出走させたのは事実。
しかし、それでもキャリア2戦目での敗戦が信じられなかった。

「先生、きさらぎ賞に使いましょう」

白梅賞のレース直後。
武豊騎手が私に進言してきた。

きさらぎ賞──。想定もしていなかったレースだ。
当初、スペシャルウィークの3戦目として、予定に組み込んでいたのは弥生賞。
キャリア4戦目に皐月賞を走り、5戦目にダービーというのが、私の描いていた日程だった。

だが、1勝馬の身でクラシックシーズンを迎えるのは危険。
ダービーに出走できるだけの持ち賞金を、きさらぎ賞で稼いでしまおうではないか。
武豊騎手の進言には、こうした意味合いがあった。

白梅賞の2着が予期せぬ敗戦だったのは彼も同じ。
しかし、そのような状況であっても、彼はスペシャルウィークの未来だけを考えてくれていたのだ。

そうや、豊の言うとおりや。
落ち込んでいる場合ではないぞ。

デビュー3戦目で重賞初挑戦となったきさらぎ賞。
余裕を残していた馬体をきっちりと絞り、本気でタイトルを獲りにいった。
直線で満を持して追い出されたスペシャルウィークの伸び脚は強烈。
2着ボールドエンペラーにつけた着差は3馬身半もあった。

「やはり本物だった」

溜飲を下げる勝利に喜びはしたが、目標はダービー制覇。
頭を切り替えなくてはならない。
日程がタイトになってしまった。
どこかで息を入れなければ──。

だが、現在のように短期放牧が主流でない時代。
弥生賞を使わずに、ぶっつけで皐月賞という選択肢は私の中になかった。

私はある決断をした。


【目標は日本ダービーのみ】

きさらぎ賞の状態を維持し、まずは弥生賞に出走。
このレースにはセイウンスカイ、キングヘイローといったクラシックの主役と目されるライバルが出走していた。
まずは、弥生賞で一線級との能力を測ろうではないか。

ダービーを勝てる器と認識したところで、弥生賞後に馬体を少し緩める。
そうすれば、皐月賞を叩き台にダービーというローテーションが組める──。

目論見通りだった。

マイペースで逃げるセイウンスカイを見事に差し切る。
この馬ならダービーを勝てる。その思いを改めて強くした。

皐月賞は10キロ増での出走だった。
この仕上がりでも好勝負なるとは思ったが、さすがに余裕残し。
弥生賞で問題にしなかった2頭に先着を許し、3着に終わってしまう。
だが、ダービーを前にして、スペシャルウィークの状態を意図的に下げることができた。

ダービーまで1カ月半。
これなら大丈夫。
もう一度、上げていける。

皐月賞後にしっかりと負荷をかけ、改めて馬体を絞り込む。
ダービーのパドックで発表されたスペシャルウィークの馬体重は468キロ。

針の穴に糸が通った瞬間だった。



■「悲願のダービー制覇」

【皐月賞の敗因は…】

皐月賞は3着。だが、この1戦は力負けではない。
ダービーを見据え、馬体に余裕を残した仕上げだった。
しかし、それでも勝てると私は思っていた。
3着に敗れてしまった最大の理由は、馬体重ではない。

皐月賞の舞台となった中山競馬場のコース設定。
現在、仮柵は内から外へと移動していくが、当時はそうでなかったのだ。

BコースからAコースへ──。

内ラチ沿いにグリーンベルトが出現し、距離ロスのない内枠の先行馬が一気に有利になる。
直線がタップリとある東京のようなコースならともかく、普通に競馬をしてもトリッキーな中山競馬場のフルゲート。
しかも、大外の18番枠にスペシャルウィークは当たってしまった。

「これは公正な競馬ではない」

上がってきた武豊騎手の第一声もこれだった。

悲観する内容ではなかったが、勝てるレースを落とした気持ちにはなった。
ダービーでこの馬の力を証明しなければならない──。

皐月賞からの1カ月半は、リベンジに燃える期間に。
だが、ゲートに難を抱えていたダンスパートナーと違い、レースでの課題もなく、気性のおとなしいスペシャルウィークは、調教に苦労するような面が何もなかった。
しっかりとした調教で負荷をかけ、馬体を絞ることのみに集中すればいい。
ダンスパートナーよりも、はるかに調整は楽だった。


【ダービー当日】

パドックで見たスペシャルウィークの馬体重は468キロ。
究極と言えるほどの状態に仕上がっているのに、彼のテンションはまるで上がっていない。
賢い馬だ。
自信を深めた私は、初めて武豊騎手に指示を出す。

「10番手くらいの位置で、競馬をしてくれよ」

彼のような騎手に指示を出すことなど、滅多にしない。
実際に皐月賞までのレースは、彼の乗りたいように乗ってもらっていた。

しかし、これだけの手応えを持って、ダービーに管理馬を出走させることなど、二度とないかもしれない。
後悔だけはしたくなかった。
私の描くような競馬を、彼にしてもらいたかったのだ。

キングヘイローが逃げるとは思わなかった。
ハナを切るのは皐月賞を勝ったセイウンスカイ。
そう考えていたが、私の中ではどちらでも同じ。
スペシャルウィークのポジションと、その進路取りだけを心配しながら、レースを見つめる。

道中は10番手。
指示通りの位置に「さすがは豊君だな」と感心する。
直線を向いた時の手応え、ゴーサインが出た瞬間の脚の速さに「勝てる」との確信を持った。

この日のスペシャルウィークが後ろの馬に差されることは考えられない。
前を捕まえることさえできれば──。

一瞬だった。

あっさりと前を捕まえ、直線半ばから後続を引き離す一方。
ゴールでは2着ボールドエンペラーに5馬身もの差をつけてしまう。
皐月賞3着が嘘のような、圧倒的なレースだった。


【ダービー制覇が持つ意味】

ダービーは競馬に携わるものにとって、特別なレース。
「この1戦だけを目標に」というフレーズを発する関係者は多い。
私もそうだった。

オーナーの、牧場の、私たちの夢を乗せて走る競走馬のスタートは、2歳のデビュー戦に限った話ではない。
セールで手に入れた場合もあれば、誕生からの付き合いもある。

スペシャルウィークと私の物語は、彼が誕生する前から始まったもの。

シラオキの血を持つマルゼンスキー肌の馬に、サンデーサイレンスが配合されると聞いた瞬間から、牡馬の誕生を待ち望み、彼とともにダービーを勝つ日を私は夢見ていたのだ。

競馬人として生きてきた私の信念が、間違ってなかったことを証明するレースでもあった。

国内外の牧場を回り、血統を深く勉強してきた。
多くの種牡馬と目の前の馬を照らし合わせながら、管理する馬を選別する作業。
現在も私の生命線になっているのは、やはり血統だ。

彼らがアスリートであることを認識し、理想の馬体重を探す。
日々の馬体重をノートに綴ってきたのも、それが理由だった。

点ではなく、線で物事を考え、目標へと向かっていく。

皐月賞のように、勝てるはずのレースを落としたレースもあった。
だが、その経緯があったからこそ、今回の勝利がある。

感無量の勝利──。

この言葉の中には、これだけの想いが詰まっている。
ゆえにスペシャルウィークへの感謝が尽きる日は、永遠にやって来ないのだ。





■「後悔の3歳秋」

【夏に弱い馬】

さりげなく表現したことはあったかもしれないが、おそらく公にしたことはなかったと思う。

スペシャルウィークは暑さに弱い馬だった。

夏場は常に涼しい北海道で過ごし、立て直しを図ってきた。
しかし、いい状態で戻ってくることは一度もなかった、と言っていい。

17戦のキャリアで10勝をマーク。
偉大な競走成績を残した彼が、3着を外してしまった唯一のレース。
その1戦はGIではなく、5歳の秋初戦として走ったGIIの京都大賞典だった。

夏負けが尾を引き、調教も満足に積めない状態での出走。
単勝1.8倍の支持を与えてくれたファンには申し訳ないが、とても勝ち負けを期待できるような状態ではなかった。
10頭立ての7着に惨敗。
地力だけではどうにもならない状況があることを、彼は教えてくれた。

そこまでひどくなかったとはいえ、3歳時のスペシャルウィークも夏負けの影響を受けての秋初戦となった。
しっかりと負荷をかけることのできた春と比較すれば、その調整が手ぬるいものになっていたことは、認めなければならない。

幸いだったのは現在と日程と違い、菊花賞の最終トライアルである京都新聞杯が、秋開催の京都2週目(現在の秋華賞の週)に施行されていたことだ。
8月に栗東に帰厩し、前哨戦を9月に走らなければならない現在の番組だったのなら、3歳秋の競走成績もまた違ったものになったかもしれない。


【菊花賞2着に思う】

京都新聞杯は10キロ増での出走。
次へのお釣りとして意図した部分もあったが、半分は絞りきれなかったものだった。

しかし、この状態であってもスペシャルウィークはキングヘイローを競り落として勝利を飾る。
だが、それが慢心に繋がってしまったのかもしれない、と現在では思う。

絞り込んで出走するはずだった菊花賞。
スペシャルウィークの馬体重は2キロしか減らなかったのだ。

クラシック最終戦の菊花賞。残念ながら、結果は2着だった。
勝ったのはセイウンスカイ。
スペシャルウィークは大外から追い込んできたものの、ライバルは3馬身半も前にいた。
二冠を達成したのはダービー馬ではなく、皐月賞馬のほうだった。

皐月賞と同じようなグリーンベルトが今回も登場したこと。
8枠17番から外を回らされる競馬になってしまったこと。
負けてしまった理由は少なからずある。

だが、私の中に“二兎を追う”気持ちがあったことは、告白しておかなければならないだろう。

菊花賞よりも、次のジャパンCのほうを勝ちたい。
そんな思いを私は持っていたのだ。


【後悔の念が残るレース】

前哨戦の京都新聞杯が10月施行だったのは、スペシャルウィークにとって幸いだった。
一方で、現在は天皇賞(秋)の前週に組まれている菊花賞が、当時は天皇賞(秋)の翌週に組まれていた。

3000mを走った3歳馬が、中2週の日程で東京までの長距離輸送を強いられる。
あまりにも厳しい要求を、私はスペシャルウィークに求めてしまった。
そう思う理由がある。

騎乗停止になった武豊騎手に替わり、ジャパンCでは岡部幸雄騎手がスペシャルウィークの手綱を取った。
栗東トレセンでの最終追い切りも彼に依頼する。

4コーナーで外へと回し、しっかりと負荷をかける。
これが予定していた調教メニューだった。
しかし、岡部騎手はスペシャルウィークを併走馬の内へと潜らせてくる。

これでは負荷が足りないではないか。
太めが残ってしまうかもしれないし、予定が狂ってしまったな。
この調教が終わった瞬間はそう思った。

しかし、レース当日の馬体重に私は愕然とする。
ダービーと2キロしか違わない470キロは、意図的に絞った数字ではない。
私が考えていた以上に、スペシャルウィークの負担は大きかった。
その手綱を通し、彼の疲労を察知した岡部騎手が、あえて調教を手加減したのではないか、と思うことが実はある。

先に抜け出したエルコンドルパサーを捕まえるどころか、直線半ばで彼は内にササッてしまう。
初めて見た彼の苦しそうな姿に、私は強い後悔の念を持った。

私は翌年のリベンジを強く誓う。
だが、事を急いては駄目だ──。

威信を取り戻すために私が選んだレースは、年末の有馬記念ではなく、年明けのAJCCだった。



■「ライバルは外国産馬」

【同世代にいた2頭の外国産馬】

3歳時、スペシャルウィークのライバルとされていたのは、皐月賞を勝ったセイウンスカイであり、良血馬のキングヘイローだった。
しかし、私が怖いと感じていたのは、ジャパンCを勝ったエルコンドルパサーであり、有馬記念を勝ったグラスワンダー。
2頭の外国産馬はスペシャルウィークと同等の能力を持った名馬だった。

3歳のジャパンカップが最初で最後。
再戦の機会を与えてもらえなかったエルコンドルパサーとの力量差について、語ることはできない。

あの1戦における2頭の状態の差は歴然。
毎日王冠からじっくりと間隔を取っていたエルコンドルパサーに対し、スペシャルウィークは菊花賞の疲労と厳しい日程に苦しめられていた。
あの馬にリベンジしたかった──。
現在でもその思いがある。

余談だが、エルコンドルパサーは名繁殖牝馬のスペシャルの4×4という強いインブリードを持っている。
その興味深い血統構成について、メディアの方々と話をしたことも一度や二度ではない。
血統の奥深さを競走成績で示してくれた名馬。
それがエルコンドルパサーに対する私の認識だ。

スペシャルウィークにとって最大のライバル──。
それはグラスワンダーだったのではないか。

この馬との初対戦は4歳夏の宝塚記念。

年明けのAJCCから3連勝し、前走の天皇賞(春)では同世代のセイウンスカイに完勝。
前年の覇者メジロブライトの追撃も振り切った。
スペシャルウィークは充実の時期を迎えていた。

一方のグラスワンダーは、復帰初戦の京王杯SCを豪快に差し切ったものの、続く安田記念でまさかの取りこぼし。
エアジハードにハナ差2着からの参戦だった。


【初めての“完敗”に思う】

単勝オッズはスペシャルウィークが1.5倍の1番人気。
グラスワンダーは2.8倍で2番人気。

宝塚記念を勝ったら凱旋門賞に──。そんな報道がスペシャルウィークの人気を後押ししていたのかもしれないが、私は楽観視していなかった。

AJCCでスペシャルウィークに騎乗したオリビエ・ペリエ騎手が「凱旋門賞に連れて来てくれ。いい勝負ができるから」と言ってくれたのは本当だ。
多少のリップサービスはあったかもしれないが、スペシャルウィークの能力なら海外でも通用したと私も思う。

しかし、4歳時の凱旋門賞挑戦に対し、私は常に否定的な姿勢を取っている。
今年のマカヒキは失敗してしまったが、凱旋門賞に挑戦するのなら、斤量面の恩恵が大きい3歳時に──が私の持論。

エルコンドルパサーのような長期の遠征をする方法もあるが、スペシャルウィークに関しては「国内でしっかりと走ればいい」。
悔しかったジャパンカップのリベンジ。
その目標が私の中に常にあったからかもしれない。

宝塚記念は2着だった。
ライバルのグラスワンダーに3馬身も前を走っていた。
彼が強かったのは事実。
スペシャルウィークのキャリアにおいて「完敗」と言い切れる唯一のレースだと思っている。

だが、すでに告白したように、スペシャルウィークは暑さに弱い馬。
宝塚記念が行われた7月初旬は、すでに夏負けの兆候が出かかっている時期だった。
今年も夏負けをすることは必至。
そのためにも馬体に少し余裕を持たせておかなければならない。
私は中間の調教をセーブしていた。
馬体重は彼のキャリアで2番目に重い480キロ。
状態が万全でなかったことは、改めて強調しておきたい。


【試練の始まり】

この夏、スペシャルウィークは前年よりもひどい夏負けになった。
満足な調教が出来ずに出走した京都大賞典で7着に惨敗。
その後も状態の上がってくる気配がない。

この状態の彼にハードな調教を課しても大丈夫なのか?
だが、それをしなければ、次走に予定している天皇賞(秋)での復活はありえない。

強く負荷をかけたうえでの大幅な馬体重減を、スペシャルウィークに求めた。
長距離輸送をし、それでも汗取りを着用して、レース当日の朝も乗る。

いい頃の状態になんとか戻したい──。

天皇賞(秋)のパドック。発表された馬体重は16キロ減の470キロだった。
その数字に喜びはしたが、それでも確信までは持てない。

スペシャルウィークの馬体に、肝心の“張り”が戻っていなかったのだ。



■「スペシャルウィークが特別な理由」

【精神力の勝利】

半信半疑で出走するGIも時にはある。
だが、それは能力が通用するかどうかの思いが、理由のほとんど。
スペシャルウィークのような馬で、半信半疑になることなど、まずありえない。

状態面の不安が、それだけ大きかったのだ。

結果的に、天皇賞(秋)を勝つことができた。
ハードな調教を課し、馬体を絞ることに成功。
やるべきことをやっての勝利と周囲も称えてくれた。

しかし、私が「勝てる」と感じたのはゴールの直前。
素晴らしい脚で伸びてくる彼の姿を見ても、私は自信を取り戻せなかった。

苦境を乗り越え、栄冠を手にしてくれたスペシャルウィーク。
その強い精神力に、頭が下がる思いがした。
とにかく苦しかった。
この1戦を振り返った時、私にはこの言葉しか出てこないのだから。


【大目標をクリア、そして引退レースへ】

4歳秋のジャパンCは1年越しの目標。
だが、京都大賞典の惨敗で一度はあきらめかけた目標でもあった。

この状態からの復活など、とても期待できない。
当時はそう思っていたが、彼は見事に再生してくれた。
それどころか、ジャパンCを前にして、状態が一気に上がっていく。
あれほど苦しんでいた天皇賞(秋)の前と違い、調整が実にスムーズ。
自信を持って挑んだダービーの時も上回る確信を持って、私は府中へと向かった。

ダービーと同じ468キロだった状態が完璧なら、レースでの位置取り、直線で追い出すタイミング、末脚の破壊力ともに文句なし。
エルコンドルパサーを凱旋門賞で破ったモンジューの登場に沸いた1戦だったが、ホームで迎え撃ったスペシャルウィークの前になす術がなかった。
香港の名馬インディジュナス、英ダービー馬のハイライズも単なる引き立て役に過ぎない。
あまりにも強い内容。
強い思いを抱いていたジャパンCだが、勝つ時はあっさりだった。

1999年12月26日。
スペシャルウィークにとっての引退レースは、宝塚記念で後塵を拝したグラスワンダーへのリベンジマッチでもあった。

秋の出だしで躓いたことが功を奏したのか、シーズン4戦目を迎えた有馬記念も素晴らしい状態での出走。
夏負けを警戒していた宝塚記念とは状況が違う。
武豊騎手が取った作戦も宝塚記念とは逆だった。

グラスワンダーをマークする形でレースを進める。
直線で先に抜け出したグラスワンダーに、スペシャルウィークが猛然と襲い掛かった。
2頭の鼻面が並んだところがゴール。
武豊騎手がウイニングランをする。
グラスワンダーの尾形充弘調教師も「うちのが負けたな」と。

際どい写真判定。
ゴールの瞬間以外のすべてで先着していたのはスペシャルウィーク。
だが、この大事な瞬間だけ前に出ていたのはグラスワンダーだった。


※グラスワンダーと先生(2018年)


【人の言葉を理解した馬】

引退から17年という長い年月が過ぎた。
種牡馬としての彼がピークを過ぎてしまったのは周知の事実。
だが、彼は牝馬の大物を2頭も輩出してくれた。

1頭はシーザリオ。
彼女は自身がGIを2勝しただけでなく、エピファネイアやリオンディーズといった種牡馬になるような名馬を生んだ。
これでスペシャルウィークの名が血統表に残る。本当に喜ばしいことだ。

もう1頭はジャパンCなどGIを6勝し、牡馬相手のレースでも大活躍したブエナビスタ。
彼女は繁殖初年度の今年、早くも後継牝馬と思わせるコロナシオンという馬を世に出した。
彼女もまたスペシャルウィークを血統表に残してくれた名馬。
今後の活躍を大いに期待している。

ダービーや天皇賞、ジャパンCといった大レースを勝ってくれたスペシャルウィークは、私にとって別格と言える存在だ。

偉大な血統の持つ力。
苦境を克服する強い精神力。
それが競走成績にも直結することを改めて教えてくれた。

だが、なによりも──。

彼は人間の言葉が分かるのではないか?
冒頭にそう言った。

母が早世し、生産者の方が乳母を探してきて育てた馬。
子馬の頃から多くの愛情を注がれた彼は、自身もまた人間に対しての愛情を持っていた。

環境の変化に動じない性格と言われる馬がいる。
先天的なものが理由の馬が多いのかもしれない。
血統が好きな私は特にそう思う。

しかし、スペシャルウィークは違う。
彼の穏やかな性格は、彼の周囲が作ったもの。
その偉大な足跡も、彼に愛情を与え続けた人の手によって、生み出されたものだ。

競走馬と人間の関係性。

それが重要なのだ、と彼は私に教えてくれたのだ。

(執筆2016年)

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白井寿昭
元JRA調教師
白井寿昭

1945年1月13日、広島県出身。立命館大学経営学部(マンドリンクラブ所属)という畑違いの分野から競馬の世界に飛び込み、厩務員、調教助手を経て1978年に調教師免許を取得した。
1998年のダービー馬スペシャルウィークを筆頭に、芝ダート国内外を問わずGI6勝を挙げたアグネスデジタル、菊花賞に挑戦したオークス馬ダンスパートナーなどの個性派GI馬を多数管理。
若い頃から培ってきた相馬眼で当歳時のアグネスデジタルを見出したり、芝重賞馬メイショウボーラーをダートに転向させてGI馬にしたりと個性的なエピソードは事欠かず、一部は『白井最強伝説』として広く親しまれている。
2015年2月28日、定年により現役引退。
通算795勝(中央775勝、地方・海外20勝、重賞42勝)

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