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競馬サロン

白井寿昭

2019/05/28 17:00

アカデミック連載『アグネスデジタル』(part2)

・新タッグ結成! しかし私は怒った

年が明けて4歳シーズン。
今度はチャンピオンとして迎え撃つ立場となったが、初戦の京都金杯で3着に敗れ、いきなり苦汁をなめる結果に・・・。

そしてちょうどこのころ、デジタルは大きな転機を迎えていた。
主戦の的場くんが調教師に転向したのだ。

新たなパートナーが必要になったが、そこで白羽の矢が立ったのが四位くん(洋文騎手)だった。
彼は20代後半と、まだ若かった。

「しっかり追える騎手だな。それに馬上でのフォームがキレイだ」

そんな印象を抱いていただけに、デジタルの手綱を任せるには十分だった。

しかし、手替わりしてからは京王杯SC(9着)、安田記念(11着)と、半年前の勇姿が嘘のように苦戦が続く。
たしかこのあたりだったと思う、私は四位くんに怒ったことがあった。

「なんていう乗り方をしてるんだ。この馬はウチの看板馬になる馬だぞ?」

彼はどちらかと言えば天才肌で、感性で動くタイプ。
ヨコノリ(横山典弘騎手)みたいな感じだっただけに、時折、ポカをするジョッキーだった。
このゲキが効いた(?)かどうかはわからないが、以降は真剣にデジタルと向き合ってくれたと思っている。

・秋の天皇賞へ出走 吉田勝己氏との会話

秋はダートの交流重賞・日本テレビ盃から始動。
これをなんなく制すと、続くマイルCS南部杯でも勝利し、2つ目のGIタイトルを掴んだ。
このころにはすでに、鞍上との息もぴったりだった。

「賞金があるし、いろいろなレースを勝ちたい」

そして次走に天皇賞・秋を選択した。

当時はマル外の出走枠が設けられており、秋の天皇賞に出られるのは最大2頭まで。
オペラオーの好敵手であったメイショウドトウと、3歳マイル王のクロフネが早い段階から出走を表明していた。
これにデジタルが加わったことにより、クロフネが出走できず、となってしまった。

このとき、吉田勝己さん(現ノーザンファーム代表)とこんな話をした記憶がある。

「白井さん。アグネスデジタル、天皇賞使うんですか?」

「はい。使うつもりですよ」

たったこれだけのやり取りがどこまで影響したかはわからないが、私の本気を感じ取ってくれたのだと思う。
そしてクロフネは天皇賞の前日に行われるダートのGIII・武蔵野Sへ向かった。

当時、クロフネは絶大な人気を誇っていた。
芦毛なのに馬名は“黒船”。
そしてマル外にも門戸が開かれたダービーにおいて、出走第1号だったのもそれに拍車を掛けただろう。
無論、競走能力も立派なものを持っていた。

これを跳ね除けてデジタルが出走することは、大きなバッシングの対象となった。
もちろんルールの元で行ったこと。
非難を受ける道理はないのだが、そればかりは人間の心理なのでしょうがない。
当然、後ろめたさを感じることはなかったが、レース前日にクロフネが武蔵野Sを大楽勝したこともあり、さらにプレッシャーを感じることになった。

「結果を残さなければ」

秋の盾獲りの戦略を考えた。

・天皇賞で王者を撃破! 視線の先は海の向こうへ

天皇賞戴冠には強敵なライバルを撃破しなくてはならなかったが、最も恐れた相手はもちろんあの馬だった。

テイエムオペラオーーー

前年、8戦無敗で年度代表馬となった“王者”だ。

この年は全盛期と比べると勢いこそなかったが、前哨戦の京都大賞典では5馬身差の圧勝。
能力に衰えなしをアピールし、天皇賞4連覇へ視界は良好だった。

オペラオーの最大の持ち味は、何と言っても類まれなる勝負根性。

「併せたら負ける。相手の闘志に火を着けてはならない」

そう感じた私は、四位くんに作戦を伝えた。

「オペラオーと並んだらアカン。4コーナーをまわったら、観客席に向かって追え!」

結果はご存知のとおり、大外を強襲したデジタルがゴール手前でオペラオーを交わし勝利した。
私の作戦と、それを忠実に実践してくれた四位くん。
まさに“してやったり”だった。

あとでパトロールビデオを見たら、勝ちを確信していたであろう和田くん(竜二騎手、オペラオーに騎乗)が外を見て「ハッ!」としていた。
この顔は今でも覚えている。

こうして芝のマイル、芝の中距離、ダートと3つのカテゴリでGIを獲得したアグネスデジタル。

「さて。次は何に挑戦するかな」

私の視線は遠く海の向こうを見ていた。

[第4章]アグネスデジタル「“日本代表”の大トリを務めたデジタル 歴史的な一日に」

・国際デビューの場としては申し分のない舞台

日本において、チャンピオンホースとなったアグネスデジタル。
もともと海外志向の強かった私は、すぐさま世界に目を向ける。

「ドバイにヨーロッパ、それにアメリカもあるぞ」

そして多くの候補がある中、ひとつの地域に目が止まった。

「香港か。いいな」

例年、12月の半ばに当地では「香港国際競走」が行われる。
スプリント(当時はGII)、ヴァーズ(以下GI)、マイル、カップの4重賞は、いまや日本の競馬ファンにとっても馴染み深いレースだろう。

天皇賞から約1カ月半後というスケジュール。
さらに場所が比較的近いことも好材料だ。

「デジタルの国際デビューの場としては、申し分のない舞台や」
「香港カップに行きましょう!」

渡辺オーナーにこう進言し、香港への遠征を決めた。

・“日本代表”の大トリを務めたデジタル 歴史的な一日に

2001年の「香港国際競走」が日本の競馬史に残る歴史的なシリーズになったことはご存知だろう。

香港スプリントこそ日本馬は敗れてしまったが、香港ヴァーズではユタカくん(武豊騎手)騎乗のステイゴールドが勝利。
さらに続く香港マイルではエイシンプレストンが快勝し、なんと国際GIで日本馬が連勝を果たしたのだ。

そして競馬場のボルテージが最高潮に達したときに行われたメイン・香港カップ。

日本馬の3連勝はあるのかーー

出走メンバー中、唯一の“日本代表”だったアグネスデジタルに大きな期待が寄せられていた。

「日本の競走馬は強い。ステイゴールドか(エイシン)プレストンがそれを証明してくれた」 「デジタルならやってくれる。本格化した今なら通用してくれるはず」

大きく意気込んでパドックへ愛馬を送り出す。

しかし、私の力みとは裏腹に下見所に登場したデジタルはケロッとしており、あくまでも平常心だった。

「やっぱりコイツはタダものではない」

まったく緊張していないデジタルを見て、「ステイゴールド、エイシンプレストンに続き3連勝目を」という思いが更に強まった。

そして発走時刻。

ポンと好スタートを切ると、鞍上の四位くんは外に振られるのを嫌い、積極的にポジションを取りに行く。

「よし、エエ感じや」

戦前の作戦会議に時を戻そう。

「先団から真ん中あたりの外めでレースを進めてくれ。あとは直線、いつもどおりに追ってくれれば勝てるはずや」

まさに理想的な位置を取ることができたようだ。

そして迎えた勝負どころ。
逃げたトブーグを射程圏内に捕らえて直線へ向くと、馬場の三分どころを力強い脚で伸び、残り200mで先頭に。
最後は逃げ馬の粘り腰に抵抗されたものの、何とか凌ぎ切って先頭でゴールを駆け抜けた。

世界の大舞台で日本馬が3連勝をやってのけたのだ。
しかもその大トリが我がデジタルだっただけに、喜びもひとしおだったことは言うまでもないだろう。

レースを終えて戻ってきたデジタルと四位くん。

鞍上の表情は達成感に溢れていただけでなく、安堵の表情を浮かべていたのが印象に残っている。

どれだけデジタルを強いと信じていても、周りは対戦したことのない海外馬。絶対に勝てると断言できるほど、競馬は簡単なものではない。

日本馬が連勝を飾った後の大トリ。前のレースで日本馬が勝利を飾って嬉しいという思いとともに、四位くんも俺も非常にプレッシャーがかかっていた。

「勝ちたい」 そう、強く思っていたレースでの勝利。四位くんも、私と同じ思いだったからこそ、安堵の表情を浮かべたのだろう。

それと現場にいた海外のホースマンから、

「クラフティプロスペクターの仔で、芝の2000mを持たせるなんてミスター白井すごいね! ユーアーグレート!」

と言われた記憶がある。

私に“世界一”の景色を見せてくれたデジタルと四位くん。

「ありがとう」

感謝の言葉しかなかった。

・ドバイ遠征は不運の連続! せめてあと1週間あれば……

2002年の5歳シーズンは絶好のスタートを切れた。
強豪の集ったフェブラリーSを勝つことができたのだ。

前年の実績、さらにはダートのチャンピオンとなったことで、ドバイワールドカップの招待状が届く。

さらなる高みへーー

我々はこれを受諾した。

しかし当時は、今のようにダイレクトでドバイへは行けない。
香港かシンガポールを経由しなくてはならなかったのだ。

我々は香港を選択。
しかし、ここで大きな誤算が起こる。

香港で9時間、暑いコンテナの中で待つハメに……。
もともと馬は暑さに弱い。
“ポーカーフェイス”のデジタルにもこれはさすがに堪えたようで、まったく覇気のない状態になってしまう。

さらに不運は続く。
ドバイも暑かったのだ。

これが涼しい北海道だったら回復できたかもしれないが、遠征地は沖縄とほぼ同じ緯度。
手の施しようがなかった。

しかも当時、まだ日本馬は“格下”に見られていた。
検疫や調教など、ホストの決められた方法・時間で行わなくてはならない。
招待されたとは言えいろいろな面で非協力的であったことは否めず、現地のスタッフが立て直しに奔走したが、こちらが思い描く仕上げができなかった。

「ちょっとなぁ……。おとなしいけど、デジタル“らしく”ないです。」
「あと10日。せめて1週間あれば……」

遠征に同行した調教助手から、電話でこんな報告を受けていた。

そしてレースへ。結果は6着だった。

「いつものデジタルだったら……」

この敗戦には今でも悔いが残っている。

・デジタルが海外遠征のルールを変えた

ドバイワールドカップで敗れたデジタル。
本来であれば日本に帰らなくてはいけない。
なぜならそういうルールだからだ。

当時、検疫についてのルールは簡単に言えばこうだった。

「1度の遠征において2国間に渡って出走することはできない」

今では当たり前のように国と国との間で転戦が行われている。
例えば今夏、欧州遠征を行ったエイシンヒカリ。
初戦のイスパーン賞はフランス、2戦目のプリンスオブウェールズSはイギリスだ。
2002年の段階では、これができない。

しかし、ドバイ遠征を行う前からすでに香港でのレースも視野に入っていた。
なぜなら帰路の途中で香港に寄る必要があったためで、

「だったらクイーンエリザベス2世カップに出してしまおう」

と考えていたのだ。

しかし、これにはルールの変更が必須。
そこで交流の深かったニール・ドライスデール調教師(エーピーインディやフサイチペガサスなどを管理)に相談をしたが、

「絶対挑戦すべき! ルールを変えたほうがいい」

米の名調教師にお墨付きをもらい自信を深めた私は、このプランを実現するためにまずはJRA理事長に話を持ちかける。
そして彼に本丸である農林水産省へ直談判してもらうことを約束した。

この後、両者でどんなやり取りがあったかは定かではないが、こうしてルールを変えることに成功。
昨今の日本馬活躍の要因のひとつに、アグネスデジタルのこうした経緯があったことを忘れないで欲しい。

・日本馬のワンツー! 歓喜の裏側には……

こうしてクイーンエリザベス2世カップのゲートインが叶う。
しかし実はドバイの疲れが抜け切れておらず、ここでも本調子ではなかったのだ。

時は香港に入る前、ドバイワールドカップ後まで遡る。

しばらくドバイで調整をすることになっており、少し休んだ後に調教を再開。
乗り込みを始めたころはダート6F84秒くらいしか出せず、香港に持っていく前(最終追い)でも81秒くらいだった。

「完調手前だな。あと1週間、あと1本くらい強いのができれば……」

ワールドカップと同じく、ここでも本来の姿を取り戻すことができていない。
またしても時間が足りなかった。

デジタルはいつも一生懸命に走ってくれる。
しかしここでは、勝ち馬エイシンプレストンから半馬身後方でゴールするのが精一杯だ。

「1週間あったら違ったな。逆転できていたはずや」

泣き言を言ってもしょうがないが、不完全燃焼のまま終わった5歳春の海外遠征。
悔しさを胸に、帰路へ就いた。

[最終章]アグネスデジタル「“オールラウンダー”の秘密」

・「もう一花咲かせよう」

5歳春の海外遠征を終えたデジタル。
空輸を経て厩舎に戻るとドッと疲れが出たようで、表情や馬体から疲労の色が見て取れる。
ここで私は、この馬にとって初めてとなる長期休養を決断。
約1年間休ませ、激戦の疲れを癒やすことにした。

2003年の春に帰厩。早いもので、あのデジタルももう6歳だ。
人間で言うところのだいたい30歳前くらい。
競技によっては脂の乗った時期を過ぎ、衰退期に入る頃合いだろう。

しかし、デジタルの瞳には昔と変わらない闘志が宿っていた。

「よし、これならまだ戦えるな。もう一花咲かせよう」

今後のプランを練るために、私はスタッフを集めた。

・あのデジタルにしても超えることのできなかった“壁”

復帰戦は名古屋のかきつばた記念を選択。
デジタルが375日ぶりに競馬場へ帰ってきた。

当日の馬体重は過去最高の472キロ。
ムダ肉のないフォルムから、太め残りでないことが判断できる。

「これは成長分だ」

この年になってもさらに進化を続ける愛馬を見て、自然と顔がほころぶ。

このようにある程度の仕上がりにあった。
しかし、レースでは直線で伸び切れず4着敗退。

やはり1年のブランクは大きかったのか。
あのデジタルにしても、それを容易に超えることができなかった。

・復活! 人馬一体となって掴んだ勝利

そして1カ月後の安田記念へ駒を進める。

GI級5勝と実績では断然のデジタルだったが、単勝は4番人気。
前走の結果を受け、競馬ファンやマスコミはデジタルを「終わった馬」と判断したようだ。
だが私は冒頭でも述べたように、また大仕事をやってのける自信があった。

これまでに二度勝っている縁起のよいファンファーレが流れ、ゲートが開く。
四位くんがうまくスタートを決め、最内で先団を見れるちょうどいいポジションに収まる。

そして直線へ。

自然と拳に力が入る。
この瞬間がたまらなくいい。

徐々に外へ導き前が開けると、内からスルスルと抜け出してきたユタカくんのアドマイヤマックスを、クビ差ほど差し切って先頭でゴール。
勝ちタイムの1分32秒1はレコードだ。

デジタルの勝利への執念は本当に恐れ入る。
そして内でロスなく立ちまわった鞍上の好騎乗も光った。
人馬一体となって掴んだ勝利。
GI6勝はルドルフやオペラオーに次ぐ記録(当時)だ。

「いつもお前には驚かされるわ」

検量室前で愛馬のクビを叩いて労う。
自分の偉業を知ってか知らずか、その表情はいつものように寝ぼけていた。

・血に秘めるポテンシャルはこんなものではない

結局この安田記念が最後の勝利となってしまった。
そしてこの年の暮れ、日本国内はもとより、世界を駆け巡った“オールラウンダー”の引退が決まった。

ビッグレッドファームで第二の馬生を歩み始めたデジタル。

初年度から重賞馬を輩出するなど、種牡馬としても好調なスタートを切る。
その後もコンスタントに活躍馬を出し、2014年、GIウイナー(カゼノコ)の父となった。

父親となってから早10年超。
一定の成績を残している種牡馬アグネスデジタルだが、血に秘めるポテンシャルはこんなものではないと思う。

当時、メディア向けに「ミスプロ系とサンデー肌の相性が良い」と言った記憶がある。
今の競馬界で主流となっているニックスだ。

この組み合わせで最も成功を収めている父がキングカメハメハだろう。

昨年GI2勝のラブリーデイや、先日惜しまれつつ引退したドゥラメンテもこのカップリングだ。

「デジタルも質のいい母馬に恵まれていたら」

今でもこう思っている。

当時の日高地方(ビッグレッドファームがある)には、社台で繋養されているような良血牝馬がいなかったも事実。
社台のバックアップでトントン拍子に出世していったキンカメとは対照的だった。

もし当時これが逆であったならば、今のキンカメの地位にいたのはデジタルだったに違いない。

ちなみに、ボクノタイヨウというデジタルの仔をご存知だろうか?
私が現役時に管理していた馬なのだが、実は、「これは良い馬だ」と思い、オーナーに直談判して預からせてもらうことになった

母はタルゴナイトというサンデーサイレンスの直仔。

つまり先に取り上げたニックスを含んだ配合だ。

中央で5勝を挙げたのだから競走能力もいいものを持っていた。
これは「ミスプロ系とサンデー肌の相性が良い」という仮説を、証明してくれた一例だと思っている。

・“オールラウンダー”の秘密

アグネスデジタルとの出会いから、約20年近くになろうとしている。

彼の強さは何と言っても

ポーカーフェイスーー

これに尽きる。

大人しい馬だから、どこへ連れて行ってもドッシリと構えている。
変化する環境に動じない強さを持っていた。

これが“オールラウンダー”の秘密だろう。

私はこのような名馬を手がけられて幸せだった。
しかも、自分でアメリカまで足を運び発掘してきたのだから、それをより一層強く感じられる。

この先、第二のアグネスデジタルの登場を心待ちにしたい。

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