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コラム

2011/11/22  齋藤 俊介「名馬列伝」

【名馬列伝】“皇帝”ルドルフが海外馬をねじ伏せた/85年ジャパンC

昨年のジャパンC当日にパドックでお披露目されたシンボリルドルフ、在りし日の雄姿

1984年、3冠馬シンボリルドルフは有馬記念に出走するとジャパンカップで逃げ切りを許したカツラギエースを徹底マークで粉砕。前年3冠馬ミスターシービーの追撃も寄せ付けずに器の違いをみせつけた。

そして、その翌年、1985年の競馬はシンボリルドルフが競馬そのものであった。

春の天皇賞を楽勝したものの、原因不明の筋肉痛にシンボリルドルフは宝塚記念を回避。引退も囁かれたが、これでだめなら……と覚悟を決めた笹針が功を奏して奇跡的に回復。

しかし、追いきり不足、笹針の影響で筋肉が戻りきらずという中で出走した天皇賞・秋ではギャロップダイナによもやの敗戦となる。

1度敗れると人の気持ちは動く。外野には本質よりも、重箱の隅を探して得意気になるものも少なくない。

それだけに、このジャパンカップでは昨年の雪辱をはたすのみならず、国内馬にも負けるわけにはいかない。陣営はさらに、皇帝シンボリルドルフの真の力、いかに勝つのかという勝ち方もこだわりたいと公言してファンにその声を伝えていった。

そして、それに呼応するかのように当時のシンボリルドルフはさらに馬体がさらに成長する。キ甲が抜けてその姿は、絵画に描かれるようなサラブレッドで、背の底からキ甲の頂点、背の底からトモの頂点への尺が1対1という究極のバランスを示していた。

レースが近づき、追いきりでウインザーノットに大きく離されても、雨が降っても、陣営のシンボリルドルフに対する信頼は揺るがない。強い馬は強い。
追いきりは調整の一環であり、追いきりで馬を走らせようとするのは人が自分の不安を打ち消したいからだけで、追いきりが実戦に結びつかないのであれば競馬のマイナスにしかならない。最初から良馬場でしか力を発揮しきれない馬ならば、最強の名に値しない。

雨天の東京2400mで、この年のジャパンカップは幕を開けた。

ウインザーノット・柴田政人騎手とゴールドアンドアイボリーのパット・エデリー騎手の先手争い。数々の大レースを制したエデリー騎手をはじめとする海外の騎手が、いかにして日本の馬(シンボリルドルフ)を負かすかという騎乗を余儀なくされたのは、この年が初めてのことだろう。この時、ジャパンカップははじめて対等なジャパンカップとして実が伴ったのである。

エデリー騎手は内から外からと欧州仕様、本気度満点のハイプレッシャーをウインザーノットに与え、3コーナー前でウインザーノットは戦意喪失。ゴールドアンドアイボリーはハナを奪うことに成功した。しかし、この時に中団から捲って先行争いに加わってきたのが、デビット・オブライエン調教師が連れてきたネメインである。ペースを落とせなくなったエデリー騎手の舌打ちが聞こえるかのような競馬になったが、エデリー騎手はさらにペースをあげてこれらを振り切ろうと強い競馬を押し通そうと判断した。

雨の東京競馬場をハイペースで競馬が進んでいたが、シンボリルドルフは自らの代名詞でもある好位で微動だにしていない。岡部幸雄騎手も落ち着いて競馬を観察し、4コーナーからゆっくりと動いていった。

ゴールドアンドアイボリーが坂で一息いれようとした時、馬場の中央ではシンボリルドルフがもう先頭を見据えられる位置まで上がってきていた。そして、先行勢の影から、ワンチャンスを狙ってザフィルバートが最内をすくって先頭に立つのを岡部騎手は見逃さない。

そこからは仕掛け一つだった。

シンボリルドルフが加速するとそこは別の世界。ねじ伏せるように力任せに馬群を突き抜けていく。伸びているザフィルバートの外をさらに伸びていく。相手に絶対能力の違いを肌で感じさせる。それが皇帝の競馬である。

そして、この競馬がもう一つのドラマを呼び込んだ。

勝負が決まり、海外招待馬の脚も止まった時、無名だった430キロの小兵が怒涛の追い込みを開始した。船橋のロッキータイガーと桑島孝春騎手である。

ジャパンカップを前にして、ロッキータイガー陣営にちょっとしたエピソードがあった。関係者と親しいホースマン、ジャーナリストらで打ち合わせた時、ロッキータイガーの蹄鉄を芝用に打ちかえるかどうかという話になった。誰も期待していない、誰もが勝負とは関係ないと思っていたが、彼らは真剣にこのジャパンカップで戦おうとしていたのである。

芝用蹄鉄の方が有利には見える。しかし「普段着で行きましょう」という声に皆がうなずいていた。よそゆきの靴ではなく、いつもの靴でロッキータイガーに存分に戦ってもらおう。

「秋の枯れた野芝は、ダートも走れるような馬の方がフィットする時がある」

と語ったのは、他でもないシンボリルドルフを預かる野平祐二調教師である。

そんな話を裏付けるかのように、雨の芝馬場で船橋の重い砂を蹴散らす蹄鉄をはいたロッキータイガーが大外を突き抜けていったのだ。

桑島騎手は、ロッキータイガーに自分の競馬を徹底させた。最後方からその末脚を活かすのみ。得意の風車鞭をうならせて「ここまで連れて来てくれたみんなに」とただひたすらに馬を追う。

このサプライズに観衆が2度目のどよめきをおこし、桑島騎手はゴールをしてからジャパンカップでシンボリルドルフの2着という勲章を南関東へ持ち帰ったことを知った。

レース後、欧米のホースマン、メディアからは一様に「海外遠征の予定」に関する質疑が沸き起こった。欧州の名手レスター・ピゴットや戦ってその力を目の当たりにしたパット・エデリーらからも「機会があればぜひ騎乗したい」とラブコールも寄せられる。世界を目指すシンボリルドルフ陣営の道筋は、この日、出来上がったかのように見えたのだ。

シンボリルドルフの圧勝とロッキータイガーの健闘による日本馬の1、2着。

学ぶものから挑戦者へ。

この年、この日。

ジャパンカップは、日本の競馬は大きな峠を一つこえたのである。


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