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コラム

2019/01/17  平松さとし「世界の騎手列伝」

【世界の騎手列伝 vol.170】イラッド・オルティスJr(PART-2)

兄であるホセ騎手との接戦を振り切り、昨年初の北米リーディングを獲得したI.オルティスJr騎手。まだ弱冠26歳とあって、今後さらなる活躍に期待できそうだ。

 2018年、北米の収得賞金順によるリーディングジョッキー争いはオルティス兄弟が争った。

 結果、2017年にリーディングを獲ったホセ・オルティスを抑え、初のリーディングに輝いたのは兄のイラッド・オルティスJrだった。

 1992年8月11日、プエルトリコ出身の26歳。同じ名前の祖父も騎手。そんな環境で育った事もあり幼い頃からジョッキーに憧れていた。

   目標はプエルトリコ人騎手として初めて北米競馬の殿堂入りを果たしたアンヘル・コルデロJr。1歳年下の弟ホセと共に騎手を目指し、プエルトリコの騎手学校を卒業した後、11年1月にカメレロ競馬場で騎手デビューを果たした。

 半年後の6月にはアメリカ・ニューヨークへ移動。ベルモント競馬場の近くに住み、6月17日に同競馬場で初騎乗。1週間後には初勝利を挙げた。結局、その年いきなり151もの勝ち星を記録した。もっとも全米でこの数字は飛び抜けて多いわけではなく、この年のリーディング争い勝ち鞍部門では53位に過ぎなかった。

 翌12年も勝ち鞍は152とほぼ変わらなかったが、ケスティングに騎乗してTCCアメリカンオークスを優勝し自身初のGI制覇を飾ると、その後も同馬とのコンビでアラバマS(GI)を勝つなど、この年、GIを計3勝した。

 3年目となった13年には224勝と勝ち鞍を伸ばし、勝ち鞍部門で10位、勝率では5位。その中にはスワッガージャックでのカーターH(GI)やケイポバストーンでのキングスビショップS(GI)、ハヴァナによるシャンパーニュS(GI)制覇などもあった。

 翌14年は更に飛躍する。スイートリーズンでエイコーンS(GI)やテストS(GI)、そしてレディーエリではBCジュベナイルフィリーズターフを優勝。勝利数も更に増やして290とし、ベスト3に食い込んでみせた。

 15年もレディーエリでのベルモントオークス招待S(GI)、スランバーでのマンハッタンS(GI)、カヴァーティングでのテストS(GI)、ゴットラッキーではスピンスターS(GI)などを優勝した後、ステファニーズキッテンでBCフィリー&メアターフを制した。そして勝ち鞍はついに300の大台に乗せてみせた。

 以降ビッグタイトルは枚挙にいとまがないのだが、16年のクリエイターによるベルモントS(GI)勝ちは日本のラニが3着だったことで、記憶に残っている人も多いのではないだろうか。同年は他にもダシタによるダイアナS(GI)、プリティーシティダンサーでのスピナウェーS(GI)、レディーエリでのフラワーボウルS(GI)など、17年もレディーエリのゲームウェーS(GI)やダイアナS(GI)、ダシタのビバリーDS(GI)、レディーイヴァンカのスピナウェーS(GI)、バーオブゴールドでのBCフィリー&メアースプリント(GI)などを制覇。

 そしてリーディングジョッキーとなった18年もアレイヴィングビューティーでのジャスタゲームS(GI)、ロバートブルースのアーリントンミリオン(GI)やブリーダーズCも2レースで優勝するなど、GIを計6勝。冒頭で記したように前年リーディングの弟を抑え、自身初のリーディングの座を獲得してみせた。(文中敬称略)

・<「PART-1」にあたる2016年7月のコラムはコチラ!>【世界の騎手列伝 vol.40】イラッド・オルティスJr(UMAJINコラム 2016/07/07)

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