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コラム

2012/05/22  齋藤 俊介「名馬列伝」

【名馬列伝】かみ合った勝利への連鎖 ミホノブルボン/92年日本ダービー

昨年の日本ダービーはオルフェーヴルが2冠達成。今年は2冠馬誕生か、それとも?

前日まで降り続いた雨は、人の心の澱をも流し去ったようだ。

1992年、東京優駿・日本ダービー。

1人気ミホノブルボンの周囲からは、時折、自然にこぼれる笑顔が見られていた。

単2.3倍のオッズはつけたというべきだろう。スプリングS、皐月賞と続いた圧勝劇。それでも人は、この馬の血統を持ち出して「距離」という言葉を使った。実際、戸山為夫調教師にもその不安がなかったかといえば嘘になる。皐月賞ではスプリングSからの着差が詰められた。これは他馬の頑張りではなく、ブルボン自身が止まったのではないかと想像することは避けようがない。

それが事実であるかどうかを別にしても、戸山調教師は坂路4本というミホノブルボンのメニューをさらに追加して5本にしてさらに鍛えようともした(実際には、レントゲンでミホノブルボンのトウ骨に影がみえて調教をプールに切り替えざるをえなかったという状況もあり、この試みが完全に実現することはなかった)。それくらい、ダービーという空気感は戸山厩舎全体にみえないプレッシャーを覆いかぶせていたのである。

ダービーは「運」がある馬が勝つ……という。

アクシデントも味方につけてオーバーワークを回避したミホノブルボンは、なにかを持っている馬であったとも言えるだろう。さらに直前まで降っていたこの雨である。道悪を問題としないパワーの持ち主であったミホノブルボンにとっては、まさに恵みの雨と言えた。加えて、こういう馬場の方が折り合いやすいだろうと人は考え、その人の心が馬にも伝わっていく。

「距離のことは気にするな。強いものが勝ち、弱いものが負ける」

と戸山調教師もこの日までに完全に平常心を取り戻していた。

勝利への連鎖は、すでに一つ一つかみ合い始めていたのだ。そして、ファンファーレが鳴り、スタートが切られると7枠からミホノブルボンが馬なりで先頭に立っていく。陣営が懸念した一か八かとブルボンのハナを叩いてくる馬もいない。

12.8 - 11.7 - 12.3 - 12.2 - 12.2 - 12.2 - 12.5 - 12.5 - 12.3

と小島貞博騎手はミホノブルボンとダービー史上でも類をみない正確なラップを刻んで行くことが出来た。道中で競りかけてくる馬もいない、条件戦と見間違うような理想的な競馬になったのである。

限りなく重に近い稍重の馬場を考慮すれば、ペース自体も速いという見方は十分。ただ、この日の有力馬、有力騎手がこぞって後方待機策を選択していたことは見逃せない。

3人気サクラセカイオー・小島太騎手、4人気ゴールデンゼウス・岡潤一郎騎手、5人気マヤノペトリュース・田原成貴騎手。先行型の6人気スタントマン・角田晃一騎手もこのグループにポジションを取っているし、伏兵視された8人気・マチカネタンホイザ・岡部幸雄騎手も同様。

ミホノブルボンを自力で追いかけて競り潰すことは出来ない以上、ミホノブルボンが距離に泣いて止まったその一瞬をつくしかない。そこに、ダービーのタイトルを手にする可能性を賭けた戦術といえるだろう。こうして後ろに傾いたレースの重心は、ミホノブルボンと小島貞騎手をさらに身軽なものにしていったのである。

12.6 - 12.0 - 12.5

軽く脚をためてから直線に向いたミホノブルボンが一気に加速を開始していく。12.6とペースの緩んだ瞬間をとらえ、後方勢も一気に仕掛けはじめた。なかでも、もともとの速力があるスタントマンは、最後方付近から一気に4、5番手まで取りついており、その後ろを他の有力馬達も中団まで押し上げてきた。そのまま、追え、追えとミホノブルボンとの差を詰めようとするが、東京競馬場の坂を利するかのようにミホノブルボンはその差をさらに拡げていった。

最後の直線で2馬身、3馬身と他を圧倒していくと16万人がひしめくスタンドから大歓声が沸きあがる。2分27秒8。ゴール板を駆け抜けた時、2着とは0秒7という大きな差をつけていた。

ミホノブルボンは前年のトウカイテイオーに続き、無敗の二冠馬となり、文句なし、圧倒的なチャンピオンとなったのである。

「最後に頭が上がっていたので……」

とダービー勝利の興奮に流されることなく、小島貞騎手はミホノブルボンが初めて見せたギリギリの仕草を注意深く観察し、言葉を選んで取材陣に対応をしていた。一方で、これまでは弟子を叱咤することの多かった戸山調教師は「よく走ってくれた」と語りつつも、胸の中からくる感情を抑え込めない様子にもみえた。調教師としての自らの理想と夢の実現。愛弟子の成長。様々なものがその胸の内を去来していたのだろう。

「普段の調教を考えれば、東京競馬場を一周してくる方がブルボンには雑作ないでしょう」と戸山厩舎のスタッフはまた語っている。

一方で、後方からの強襲を狙った各馬をジワジワと伸びて抑え込み2着に流れ込んだのがライスシャワーと的場均騎手だった。ホクセツギンガマーメイドタバンらの先行組が脱落する中で、単に粘り込んだだけではなく追い込み馬を差させなかった事実はもっと評価されるべきであったといえるだろう。

ただ、この時は、まだフロック、たまたまという空気が圧倒的であったことも事実。今はミホノブルボンという新しいスターを祝おう……そんな風が吹いていた。

後に3冠挑戦へあたって戸山調教師は「メジロマックイーンのような馬さえいなければ」と語ることになるのだが、ダービーで負かした馬の中にそういう存在がいるとは思わなかったことも、一つのドラマが起きた側面であっただろう。スプリングSで柴田政人騎手がそうであったように、的場騎手もまた、秋への手応えを感じてこの年のダービーを終えることになったのだ。


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