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コラム

2012/04/10  齋藤 俊介「名馬列伝」

【名馬列伝】別世界の存在感 ナリタブライアン/94年皐月賞

昨年、東京での皐月賞はオルフェーヴルが圧勝。その走りは“3冠”を予感させ、実際に偉業を達成してみせた。今年もトリプルクラウンホース誕生、なるか?

1994年、皐月賞。

単1.6倍と堂々の1人気にナリタブライアンは推されていた。それでも1.2倍で走った共同通信杯、スプリングSに比べれば、未対戦の弥生賞組のおかげでオッズは「つけた」といえるだろう。

相手を選んだとはいえ、ガス抜きに使ったスプリングSでも、一旦、最後方まで下げてから全馬を抜いて突き離してくる(2着フジノマッケンオーに3馬身半差)調教のような競馬で圧倒。誰もが認める次元の違う絶対能力がどんな競馬を見せるのか。ファンの熱い視線を受けながら、1番枠からナリタブライアンの皐月賞はスタートした。

とはいえ、そこはクラシックの名を冠するG1レース。特に、美浦の各陣営を中心に勝てなければビリでも同じとばかりに勝負に出て来た馬が少なからずいた。それが、単調になるかにも思えたこの年の皐月賞を全く違うレースへと導いていったのである。その、一の矢として逃げの手に出たのがサクラエイコウオーと小島太騎手。

倒すワンチャンスがあるとすれば、前で戦うしかない。

12.2 - 11.1 - 11.5 - 12.2 - 11.8

弥生賞馬が自ら5F58秒8というハイペースを刻んで逃げの手に出た。2番手には、これまでの差す競馬から一変したアイネスサウザー(いちょうS勝ち、共同通信杯でナリタブライアンの2着)・柴田善臣騎手がピタリとつける。3番手には数少ないステートジャガー産駒としても話題となったメルシーステージ(アーリントンCではエイシンワシントン<この後にトップスプリンターの1頭に>、毎日杯ではタイキブリザード<後に安田記念勝ち、北米遠征>を相手に逃げ切り勝ち)と河北通騎手。4番手に中京3歳S(現・中京2歳S)の勝ち馬ドラゴンゼアーを加藤和宏騎手が導いて、こちらも積極策を選択した。

このラップは、

12.7 - 11.1 - 11.6 - 12.5 - 11.9

という1992年の皐月賞馬ミホノブルボンが見せた苛烈さを彷彿させるものであった(ただし、ミホノブルボンの優勝時は発表こそ良だが、午後から降りつづいた雨の為に事実上の重馬場と騎乗者達はコメントしている)。

中山の1800mと2000mのレース傾向が異なるのは、スタンド前を余計に走るこの1Fが大きい。2000m戦においてここの区間で速いラップを踏んで消耗すれば、最後の直線では必ずそのツケを払うことになる。逆に、1800m戦はその区間がないことで先行有利の土台が築かれているわけだ。

スタート後の11.1-11.5という入り方は「これで止まって負けるならば仕方ない。中途半端に抑えて負けるような競馬をするくらいなら行く」と言わんばかりの強い意思の現れで、境勝調教師&小島太騎手というこの師弟らしい選択。

その激流の中、ナリタブライアンは中団の前につけて競馬を展開していた。このハイペースでも南井克己騎手は手綱をひくことなく、むしろ手綱をナリタブライアンに預けて追走させている。

実は、このハイペースがナリタブライアン陣営が唯一ともいえる不安点として気にかけていた掛かる要素を大幅に解消させていたのである。エンジンの違う馬だけに、同世代の馬にあわせていく方が難しい。サクラエイコウオーと小島太騎手がつくっていたこのペースは、ナリタブライアンにとって、むしろ望んでいた速さだったのである。

実際、ナリタブライアンはこのペースでも向正面で行きたがった。が、これも1番枠が味方する。常に前の先行馬達を壁にしていたので、ナリタブライアンは程なく折り合いを取り戻していくのだった。

11.9 - 12.2 - 12.1

と逃げるサクラエイコウオーら先行勢がペースを落とさないこの流れの中でも、ナリタブライアンはすっと息を入れる余裕すらみせている。勝負に出たエアチャリオット(3連勝から弥生賞2着)と横山典弘騎手が10番手付近から捲って出てナリタブライアンの外を上がっていったが、ナリタブライアンはそれをプレッシャーとすら思わなかった。

「行こう」と南井騎手は躊躇なく勝負所から先行勢を自ら捉まえに出ていく。ナリタブライアンは、それに反応するや外にいたエアチャリオットやにじり寄ってきたオフサイドトラップ(若葉S勝ち馬)を後方に追いやり、ラチ沿いから瞬時に先行勢の直後を伺った。そして、並んで走る3頭の外に出ると、そこからはただ1頭の競馬を開始したのである。

1600mを1分35秒前半で通過した4歳(現・3歳)馬が、残る2Fを11秒台でまとめてみせたのだ。逃げてきたサクラエイコウオーら先行組とナリタブライアンの差は、あっという間に3馬身、4馬身と拡がっていく。独走状態のナリタブライアンがターフビジョンに大写しとなった時、多くの人の脳裏には、この馬が皐月賞のみならず「三冠」の器であることがイメージされただろう。こうして、ナリタブライアンが悠々とゴール板を通過する。

その後方。スタミナのあるタマモクロス産駒ドラゴンゼアーとバイアモン産駒アイネスサウザーが粘りこもうとする2番手争いに対し、この瞬間を狙っていた後方集団からくせ者達が次々に飛び込んできた。サクラスーパーオー・的場均騎手、フジノマッケンオー・武豊騎手、トニーザプリンス・坂井千明騎手である。強い馬であっても、このハイペースを深追いし、最後にとまればその瞬間が隙となる。

例年通りのG1であれば、彼らの読みと選択は間違いなく皐月賞らしい波乱を演出していただろう。しかし、この年は相手が並みのG1馬ではなかったのだ。くせ者達に影すら踏ませなかったこの競馬に故・野平祐ニ調教師は「大人と子供」と表現し、あの武豊騎手も「勝てる気がしませんね」と語っていた。

勝ち時計1分59秒0はレースレコードではなく、古馬も含めたコースレコードを塗り替えている。それも、中山の馬場が最も悪くなる4月の最終週にだ。前年ナリタタイシンの2分0秒3、2年後イシノサンデーの2分0秒7を目安にしても、いかに別世界の馬であったかが知れるだろう。

この数週後、兄ビワハヤヒデが天皇賞・春を制した時、杉本清アナは「兄貴も強い!」とアナウンスしてしまう。菊花賞、天皇賞・春を制したビワハヤヒデが、皐月賞を終えたばかりの弟ナリタブライアンと比べられてしまったのである。

このことは、当時、ナリタブライアンがどれだけの存在感を放っていたかを示すエピソードの一つともいえるだろう。最強か怪物か。ナリタブライアンのクラシックは、ついにここから開始されたのである。


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