2012/01/17 齋藤 俊介「名馬列伝」
【名馬列伝】「見返したかった」カシマウイング/88年AJCC
1987年有馬記念をメジロデュレンが制したことで、この世代はダービー馬ダイナガリバーと菊花賞馬メジロデュレンが2年連続で有馬を制し、世代間闘争に勝利宣言を成しえたのだった。一方、その下の世代はこの有馬記念で2冠馬サクラスターオーを故障で失い、ダービー馬メリーナイスは落馬により競走の対象とすらならなかった。
年が明けて迎えた1988年AJCCは、同じ中山競馬場の外回り2200m。
前年の有馬記念から雪辱を狙う明け5歳(現表記で4歳。以下同)馬達が、意欲的にその姿を見せるレースとなっていたのである。
1人気は菊花賞3着、有馬記念2着の5歳馬ユーワジェームス。
安田富男騎手は「有馬に負けたら坊主」の公約を果たし、綺麗に剃りあげた頭に緑色のヘルメットを被せている。馬にとって適距離ともいえる2000m前後の戦いでもあり、自信をみなぎらせた様相を隠そうともしていなかった。
2人気が6歳(現表記で5歳)馬カシマウイング。
アルゼンチン共和国杯を勝ち、有馬記念6着も0秒4差。常に世代セカンドクラスの代表として2着12回という戦績を見せていた個性派だが、ここへきていよいよ本格化の様相をみせはじめていた。的場均騎手はこの日も拍車を装着。大体先頭で競馬をやめてしまうカシマウイングだったが、拍車によって競り強い馬へと変わってきていたのである。
3人気の5歳馬サニースワローはダービー2着、菊花賞5着とユーワジェームスとは同格に近い。4人気の5歳牝馬メジロフルマーは条件連勝中の上がり馬。ただし、オークスではマックスビューティの6着で3着タレンティドガール(エリザベス女王杯勝ち馬)とは僅差の競馬。陣営はその素質を高く評価しており穴人気の様相もみせていた。これに前年勝ち馬の7歳(現表記で6歳)馬スダホークが5人気で続いている。
こうしてファンファーレが鳴り、いよいよスタートが切られるや歓声が沸き起こった。
ユーワジェームスが出遅れたのである。それを横目にメジロフルマーが注文通りに逃げの手に出て、サニースワローとカシマウイングが並んで2番手を併走していった。アイアンシロー、ハーバークラウンらが中団、後方にユーワジェームス、キタノイチジョー、スダホークと綺麗に3分戦の様相を見せていく。
メジロフルマーは平均ペースから持続力を活かしたいタイプの馬で、スタンド前のラップだけが12秒9と落としたが、そこから
12.1 - 12.3 - 12.2 - 11.8 - 11.7 - 12.1
とペースを緩めることなく競馬をつくっていった。
そして、3コーナーから4コーナーへ向かうとカシマウイングと的場騎手がプレッシャーを強めていき、サニースワローが後退していく。11.7のラップを外から馬なりでこられてメジロフルマーもここまで。カシマウイングは単独先頭に立ち、直線の急坂をグイグイと登り始めていった。この流れを後方から一気に追い上げていったのがユーワジェームス。奥の3コーナーから動き、直線入り口ではメジロフルマーと並ぼうかという位置まで取りついている。
しかし、ファンが沸いたのも一瞬だった。長く脚を使ったユーワジェームスはついにガス欠となり、急坂の中で一気に失速。カシマウイングどころか粘る牝馬のメジロフルマーにも突き離されてしまう。
安田富騎手への怒号飛び交う中、1馬身、2馬身とカシマウイングは馬群を突き放し、勝負を決していた。その中で、失速した先行組、中団組に変わって後方からキタノイチジョーとスダホークが突っ込んでくる。
展開が如実に表れたとはこのことだろう。2着には5歳馬でも900万条件(現・1000万)を勝ったばかりのキタノイチジョーが入り、メジロフルマーがハナ差3着。これに頭差でスダホーク、1馬身差でユーワジェームスという結果となったのだ。
結果論で考えれば、ユーワジェームスが直線に賭ければキタノイチジョーよりも間違いなく前にいただろうし、メジロフルマーの脚質を考えればポジションを上げるのは12秒9のラップになったあの瞬間がワンチャンスだった。パニック時ほど落ち着くことが肝要と言われるが、これまで出遅れていなかっただけに、騎手に油断や準備の想定に怠りがあったことは否めないだろう。
蒼白となる安田富騎手とは対照的に、カシマウイング陣営は意気軒昂だった。
「見返したかった」と陣営は開口一番。心ない記者に「有馬記念にふさわしくない」と名指しで言われたことに陣営は腹に据えかねるほどの怒りを見せていたのである。レースで見せてやる……とここへは準備万端。強気のレースもまさにプラン通りだった。
「メジロフルマーには秋に条件で勝っている(900万時に対戦し完勝)ので、いつでも交わせると見ていました。入厩時から期待していた馬でしたが、肉体的に弱い面があったのでしっかり中身が伴うのを待ってあげようと。古馬になって思うように成長し、ここで2つめの重賞を勝って力を示せたことは嬉しい」
とこれまで内に秘めていた心情を一気にはきだしていた。
戦前も信頼できる記者、ジャーナリストには
「有馬はスタートで不利(落馬したメリーナイスの隣だった)があって後方からの競馬になった。前で競馬が出来れば、勝てないまでもハシケンエルド(3着)、レジェンドテイオー(4着)には負けていないと思う」
と触れていた陣営サイド。心ない記者を横目に「勝ち方も良かった。上を目指したい」と締めくくった。後に、的場均騎手(現調教師)は
「春の天皇賞でも3着。カシマウイングで長い距離の重賞レースをたくさん経験できたことは、後のライスシャワーの時にプラスになりました。とてもキレイな馬で、男馬でしたが品がある馬でした」
と当時を振り返っているが、この馬の活躍は後のライスシャワーはもちろん、当時、繁殖生活をしていたカシマウイングの姉ミリーバードとその娘にも影響を与えていた。
1986年にミリーバードが産んだ父リアルシャダイの娘は馬主探しに苦しんでいたからだ。
名伯楽・伊藤雄二調教師に見いだされ、1988年にシャダイカグラとしてデビューするこの牝馬にとっても、この時期にカシマウイングが台頭したことは、その背中を少なからず後押しした事だろう。この勝利は、後の2頭のGI馬につながる1戦でもあったのだ。
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